株式会社山田写真製版所の手がける写真印刷は、世間の一般的なものと一線を画しています。上の写真は実際に同社で印刷された、本紙色校正の際のサンプルを接写してみたものです。この写真ではザラザラとした仕上がりに見えるようにあえて撮影していますが、実際は極めて緻密に描かれたラインに締まった黒が印象的で大変に美しい印刷です。なにより「写真プリント」として、立体的であり、奥行きを感じさせる美しさ。この一見ザラザラとした表面に、同社が積み上げてきたノウハウが蓄積されているのです。
株式会社山田写真製版所のプリンティングディレクタ(PD)、熊倉桂三さん。日本でも屈指の印刷所にて長年PDをつとめ、印刷への飽くなき探求心から、現在同社にてPDをつとめ、広く門戸を開いて後進の育成にあたっておられます。一線で活躍する多くのアートディレクタやデザイナ、写真家が信頼を寄せる熊倉さんが手がける印刷は、ともかく「奥行き」を感じるものです。これを言葉で伝えるのは難しいので、たとえば下のような違いです。
狙う色再現などはさておいて、左側の眠いカットに比べ、右側はコントラストがつきながらも、シャドーのディテールは潰れきってはなく、しかし引き締まっています。またメッキ部分のメリハリもつき、塗装面の艶やかさや雨滴の雰囲気も伝わります。少しわかりやすく極端に表現してみましたが、熊倉さんと株式会社山田写真製版所の手がける印刷は、右のカットのような印象なのです。そして、インクジェットプリントなどで左側のような仕上がりを経験したことはありませんか? それは仮に右側のカットのような雰囲気を編集画面上ではイメージしていたとしても。この件についてここであえて深く掘り下げた話はしません。ひとつ皆さんにお伝えしたいのは、熊倉さんをはじめ、そして株式会社山田写真製版所は、写真をどのように表現すべきか、そのことについて明確な回答を持っているのです。そして、依頼者に一枚上のカードを見せてくれることでしょう。
本格的な印刷は初めてというScott氏のために、実際に使用する紙を用いて色校正を行うことにしました。昨今は色校正も”デジコン=デジタルコンセンサス”専用機で行うことが多く、本紙を用いた色校正を行う機会が少なくなりました。株式会社山田写真製版所においても、本紙色校正を行ったとしても用紙や印刷の風合いを確認して貰うに留め、色味についてはデジコン出力されたものを参考に最終校正を行うそうです。本紙色校正では実際の本刷りで使う印刷機は使用せず、KCMYの順で各版を重ねていきます。立ち会ってなにより驚いたのは「K版(いわゆる墨版)」の様子。カラー写真の場合、一般的には上のようにKが盛られることはありません。モノクローム写真で成立しそうなほどに盛られています。このことに何より驚きました。
上がK版です。画面内にKが点在する、一般的にはその程度です。しかし同社のK版は、まさにモノクロームとして成立するほどにインクが載っているのがわかります。左がKCMY版すべてを刷り重ねた状態です。その中の一番下のカットは、黄色い床がフレームの大半を占めていますが、上のK版の様子を見ると、その床にでさえKインクは載っています。
一言に「インクを盛る」といっても、それはリスクを盛る行為に等しいわけです。用紙同士の擦れなどが起こりやすく、そう簡単に実現できることではありません。限られた時間内に大量に印刷を行うわけで、印刷全てのファクターをつき合わせ、針の穴を通すように色分解+製版+印刷機のセットアップの解を導き、ノウハウを積み上げてきた結果といえるでしょう。
”黒を締める”。皆さんも現像処理などでその難しさを感じた経験があると思います。特にモノクロフィルムでの撮影に、暗室でのプリント作業の経験がある人にとっては、このフレーズはなじみ深いものでしょう。デジタル画像の現像処理はもとより、暗室作業におけるネガ作りとプリント作業は、画像処理ソフトでいうところの「トーンカーブ」で行う作業そのものといえます。それは誤解を恐れず言うならば、つまるところ何を取り何を捨てるかという、ある種の取捨選択作業です。熊倉さんは、決して色域の広くはないインクの世界で、インクを盛るという足し算のコンセプトを打ち立て、写真をより美しく見せる道を追い求めてこられたのです。
伺えば、長年追い求めてきた構想だったそうで、言うまでもなく試行錯誤の結果、現在に至ります。あれだけのK版であれば、当然、製版作業も一般的なものと全く異なり、そのレシピは社内で”熊倉カーブ”と呼ばれているそうです。
熊倉さんがプリンターのスタッフに刷り上がりの結果を見て調整の指示を出すシーンを拝見して、なるほどなと。たとえば「水面と雲のディテイルがもっと出るから、ここを何パーセントアップ」といった具合。写真のセレクトやプリント、これをいわゆる「第2の撮影」とするならば、熊倉さんは印刷の世界で、まるで撮り手のように同じ事に取り組んでいます。そして1枚の写真に、確実に何かが吹き込まれていくのです。
本紙色校正では純白と若干黄みがかった2種類の用紙に刷りました。早速Scott氏に確認して貰います。ご自身の撮影されたカットがこうして形になっていくのを見て喜びもひとしお。用紙の選択に最後の最後まで悩んでおられました。ご家族の中で、Scott氏だけが黄みがかった用紙をチョイス。あとの皆さんは純白を推すといった模様。編集部側も純白をおすすめしました。すべてモノクロームならば、黄みがかった用紙も趣があってよいのですが、純白はやはりカラー写真の色ヌケがよいのです。用紙は最終的に純白に落ち着きました。Scott氏の写真は、少し彩度が高めなのが特長であり、イエローを若干押し気味にしたいとの要望が。インクによる色域について解説し、刷り出しの段階でそれを反映するも限界はあるかもしれないと伝えました。それ以外は完璧でした。
アメリカでの生活が長いScott氏は、日常はもとよりビジネスにおいても英会話になんら不安はありませんが、万全を期すために写真集の中のコメントは、長年のビジネスパートナーであるシーラさんに英訳を依頼。シーラさんも色校正に参加。その他、奥様・娘さんも。写真が好きで、なにより楽しくて撮影を重ね、その1人の情熱がたくさんの人を動かして、一冊の写真集として結実しようとしています。なんだか面白いなと、この光景を見つめていました。
さて、いよいよ本番の印刷を迎えます。色校正での要望事項を踏まえ、テスト印刷を行います。今回、熊倉さんの指示のもと、画像調整から刷り出しまで立ち会っていただいたプリンティングディレクター黒田典孝さん。その結果をチェックした後にGOサインが出されます。
刷り出しの段階でも熊倉さんの細かなチェックと指示が入ります。それを受けてテストプリントを繰り返します。
テストプリントの度に、チェックツールを使用してプリントの隅々まで濃度を測定。ルーペによる網点の目視チェックも行われます。
幾度かテストプリントとチェックを繰り返し、ようやく熊倉さんのOKサインが出ました。このサインなくして、本番プリントへと駒は進められません。この後、印刷機は本番稼働。そして、数日の乾燥を経て、⑱製本を行い、ようやく⑲配本となり、全行程の終了となります。一連の作業後、熊倉さんが興味深いコメントを。
「未だかつて、印刷に満足したことがない」
どんな仕事も後になって見返せば、もう少しやれた、と。失礼を承知で「それは熊倉さんがこれだけ長いキャリアを積み重ねられても、未だに印刷が面白いということではないでしょうか」と伝えると、微笑んでおられた姿が印象的でした。
フォトヨドバシ編集部では、これまで2冊の本を作ってきました。写真集を手がけるのは今回がはじめてでしたが、時間とお金を費やし、一冊の本を作り上げる撮り手の情熱に、同じ撮り手としてやはり感化されました。あらためて写真とは面白いなと感じさせられた次第です。またオフセット印刷のポテンシャルの高さに驚き、名プリンティングディレクターの仕事に流儀に触れ、印刷そして写真プリントの面白さを再認識させられました。何より、いつか自分も作ってみたい、そう思わされるプロジェクトでした。
写真を撮るだけでも楽しいことですが、それをとりまとめる面白さも格別です。なにより紙の上に写真が載ることで、写真が「物」になる面白さにあらためて興奮させられました。Scott氏と同じように、いつか写真集にまとめてみたいと考える方も多いのではないかと思います。写真集を手にして頂き、ご参考にして頂ければ幸いです。そしてScott氏が紡いだ世界に触れてみてください。
アメリカ・ワシントン州ベルビュー市在住。75歳。ゲームプロデューサー、Tozai Inc. エグゼクティブプロデューサー。日本ゲーム界において黎明期より活躍し、現在も一線で活躍。ゲーム界におけるレジェンドのひとり。
( 2017.11.22 )