ライカアカデミー主催のワークショップ会場は、NYCブロードウエイ沿いの29番通りにあるACE Hotelの会議室で開かれた。さすがライカが設定した場所はアーティストやデザイナーのたまり場でもあるという、歴史を漂わせた、しかし実に瀟洒な作りの四つ星ホテルだった。セミナーに参加したのは計15名(内女子1名)で遠くはスイス、ニュージーランドからも来ていた。そして日本人らしき若い男性が一人、日本ベースでボストンやNYCにも仕事で滞在することが多いというIさんが初対面で開口一番「ヨドバシのスコットさんですね。」、びっくりしたが緊張しているなかで日本語で話ができる相手がいてうれしい一幕だった。始まりは自己紹介と各自写真に対する思い入れや、どんなジャンルの写真が撮りたいのか、何故そう思うのか、どんな目的でこのセミナーに参加したのか等、講師のプロ3人から質問を受けながらの応答で先ず最初の冷や汗。申込み時に各自撮った写真を5枚ずつ提出してあるので、講師はそれぞれの技量、好みなどを理解した上でその他すべてを知っておきたいのだろう。3日間は黒板を使ったり、天井から下りてくる映写幕に画像を投影しての講義とストリートに出てスナップ指導、そして撮った写真の評価だった。全員M9で、レンズは50mmと35mmだった。プロの使い込んだカメラはブラックペイントが剥がれ、現れた地金が鈍く光っていた。

プロや他のシューターたちの撮影姿勢やテクニックを見るだけでもドキッとする瞬間が多かった。自分が常々しているノーファイダーで撮る人は少ない。その切り取りたい一コマを確実にものにしたいから、カメラをさっと構えファインダーを透してサブジェクトを捉えるのだそうだ。ノーファインダーではきちっと構図を描いて撮れる率は確かに低い。撮られているのを気がつかない人物の自然な姿をと自分のノーファイダーを正当化していたが、これは気後れして被写体との対決から逃げていたに他ならないと冷や汗だった。

彼らのカメラを構えて撮る動作は本当に手練の早業で、カメラを上げたと思ったらもうシャッターを切っている。相手がこちらを凝視していない限り気がつかないだろう。その早撮りをするにはカメラの設定は状況に応じISO400~1600、絞り優先でf8~16に設定し、できるだけフォーカス範囲を広くしておくという。特別の目的があったり時間の余裕があれば絞りも開け焦点も合わせることがあるそうだ。一緒にいてもすっと消えていなくなり、いつの間にか横道で面白い場面を撮っている。とにかく目配りと身軽さと攻撃力がすごく、ああこれが本物のストリートシューターなんだと自分のいつもの生ぬるい動作を思いやり、また冷や汗。

彼らが撮るのは、日常の中の面白いモーメントも多い、自分がその場で面白いと言われてもよく分からない場面でも、写真で見せてもらうとにやっと笑える愉快なシーンだったりした。やはり写真眼が違うなと、冷や汗。それは常に移動している肉眼の視界のなかの普段の出来事を、写真として切り取ることにより語り始める物語として感じとれるセンスだろう。しかも瞬時に主題はなにかを表現できる構図を頭の中で描いている。その他通常は見ることが希な場面を発見した時や、主題、背景あるいはその両者に光と影のリズムがあれば写真の深みと趣がでるということで好んで撮っていた。

写真の主題は何なのかがはっきりし、主張したいその文脈の流れが画像に表れていなければならない。又人物スナップばかりでなくストリート風景でも、単純であれ複雑であれ幾何学パターンがあれば構図の面白さがあり撮りたくなるという。水平、垂直、斜め模様、あるいはアラベスクのような装飾紋様も絵になるのは分かるが、そのような図形が眼前にあっても移り変わる広角の視界の中でそれを読み取るには研ぎ澄まされた写真眼がいりそうだ。とにかくどんな写真でも、見る人が撮り手と同じくその趣意を感じるとることができなければ、興味のない単なる絵ということだ。

彼らはむやみに多くの写真を撮ることをしない、しかしここぞと自分が感じたサブジェクトに出会えば、そして変化する瞬間も含めアングルも変えながら一カ所で何十枚でも撮るという。しっかりした早い判断ができなく、取りあえず撮っておこうと必要のない多くのシーンも無意味に撮っていることで、本番に集中できてない自分に、冷や汗。しかしストリートのあらゆるシーンをほぼ毎日、反射的に数百カット撮っている人を知っているが、その写真からは街の空気や人々の日常の暮らしの匂いも感じられ、そこまで到達すると、一つの写真ジャンルとして確立できているんだと思う。とにかく中途半端がよくないのだ。

ストリートスナップは素早さがポイントでなかなか完璧な構図を切り取る余裕がないときもあり、現像時のリタッチは作品として完成させる大切な作業ということだ。余白によって主題の語りが弱ければばっさりと切るなどトリミングして画像を整え、時には光や影のコントラストも調整し全体の物語性や描写の深みも引き出さなけらばならないし、フォーカスも必要であれば補整するという。

彼らには例えば報道写真の「撮って出し」のような生の価値観はゼロで、撮り手のセンスに基づいて写真画像として最終的に出来上がった作品の語りやアートとしての秀逸さを尊ぶ。自分の写真を最大限に表現するための総合的な努力をするということだ。だから写真家は撮るだけでなく編集のセンスや技量も必要になるということだし、プリント作業でも同じ事が言えるのだろう。

自分が感動した場面を、作品として完成させることを目的とした手段の自由性についての考え方は、非常に新鮮に感じ心が開かれる思いがした。最近自分も使っているが、Rawファイルの編集ソフトはLightroomで、微調整が必要であれば次に加工、編集のPhotoshop Elementsに移行していた。この学習も大変そう。でもそれによって自分が撮った写真がより生き生きとした作品に生まれ変わるのであれば、何とすばらしいことだろう。一方、リタッチなしの「撮って出し」写真を好む人も多い。それは状況による撮影時のカメラ、レンズの様々な設定や構図などを含めた撮影技術がいかに優れているかをアピールできるのだが、これもすばらしい事だと思う。いろいろな条件下でなかなか撮ったままでいい完成品は出来ないので、そのような写真も大いに興味がある。その分野の楽しさもあっていいと思うし、時々リタッチの必要がないラッキー写真があるとうれしく、これからもチャレンジしていきたいものだ。

最終日の午後、プロが一人一人回って、各自読み込んだコンピューター上の写真をモニターで見ながらコメントをくれ、撮った写真の中で自分が好きな一枚を提出ということで「コーヒーを待つ女」を出した。描く線が面白かったのと、アンバランスのようでも中心を垂直に下りる重心点が感じられたからだ。一品ずつ大きな映写幕に映し出された。この写真のプロの評価は、光と影の作品性はないがカウンターに添えられた左肘と、腰にあてた腕や指に気だるそうな上半身の重みが感じられ、そこにストーリー性がある。その重力が真下に落ちてこの斜めアングルでも絵に安定感があり、次に移る動作の躍動感があるのがいい。女性の雰囲気は何となく古い時代を思わせ、そしてコーヒーを入れているのが女性か若い男性なのか分からないミステリー性も面白い、ということだった。もう少し回りこんでおしりを強調すれば尚好しと言われたが、このスナップ角度が精一杯の勇気、と答えておいた。他の人の作品はそれぞれ個性的で、「凄い!」と思った写真も数点あって、プロであることを隠して来てる人もいるんじゃないかとさえ思った。プロのコメントや交わす意見を聞いたり、プロ自身の写真の説明など実に有意義なラストだった。

好きなことを、その道に通じた人に指導を受けるって本当に楽しいしうれしいものだ。「写真」というものを一切学んだことはなく、単に見聞きしたりして好きなように自己流でやってきた自分にとって、今回の経験はとても新鮮な衝撃だった。自分が好む写真は街撮りにしろ、自然風景にしろ物語性がある描写、すなわち今回のセミナーのテーマだった。そして今まで撮ってきた写真の域からもっと深く入ると、実は本格的なアートとしての別の世界が存在するということを知った感激に打ち震えている。新たなスナップ姿勢や編集方法にも挑戦したいし、学んだようなアートやデザイン性を加味したより印象的な写真を撮れるようになって、その新たな世界にも足を踏み入れることができればと思っている。もしそこまで到達できなかったとしても、そんな世界があることを知った喜びは既に計り知れないほど大きいのだ。 Thank you, Leica Akademie!

Scott Tsumura

アメリカ合衆国ワシントン州ベルビュー市在住。70歳。
Tozai Inc. エグゼクティブプロデューサー。

>> Scottさんblog " shot & shot "
>> Tozai Inc. オフィシャルサイト

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