さて、高野さんを役者の道に駆り立てたものは何でしょうか。きっかけは、14歳の頃。ミュージカル「サンセット大通り」でベティ・バックリー演じるノーマ・デズモンドを観たとき、彼女の中に大きく熱い何かが芽生えました。

「音楽も、台詞もないシーンだったんです。ふと浴びたスポットライトをまぶしそうに見上げる、それだけの演技。広い舞台にたったひとり、その演技だけで、言葉にならないたくさんの思いを観客に伝えられる。こんな表現があるんだと、ほんとうに感激してしまって。全身鳥肌が立っていました。」

14歳という段階でやりたいことを見つけられる人は、それほど多くはないでしょう。そして、それに向けて行動できる人は一握り。そもそも高野さんは7歳の時にも自分の意志でバレエを始めています。反対する親を説得して全寮制の学校に進み、9歳からはバレエとダンスの毎日。いつしか役者という目標を見つけた高野さんは、15歳でひとり帰国し、日本で役者を目指したのです。その行動力に驚くなかで、彼女の発した一言が思い出されました。

「どこへ行っても外国人なんですよね。」

バーレーン、シンガポール、日本、イギリス。幼い頃から転々と居場所を変えてきた少女は、きっと人一倍「自分が何者であるか」について考えたのでしょう。そしてそれこそが、エネルギーの源になったのかもしれません。

 

「演劇のさかんな学校で、本当は演劇部に入りたかったんですけど・・・それより先にやることがあるだろうと。」

高校生活は、家庭教師に日本語のレッスンを受ける毎日でした。耳のよい高野さんはすぐにコミュニケーションを取れるようになったものの、読み書きは簡単ではありません。「英語も0点でした。だって、問題文が読めないから。」
ネイティブですら敬語のおぼつかない日本語という言語。高校生になって学びはじめることがどれだけ大変であったかは、想像に難くありません。

高校を卒業してからは、自分を売り込み、オーディションを受ける日々。暇さえあれば小説を読みあさり、行間にある登場人物の感情に思いを馳せたといいます。

「両親にサポートしてもらえたのが、何よりありがたかったですね。大学に通わせたと思って4年間は面倒を見てあげる、と。もちろんその先は自分で何とかしなさいって、釘をさされていましたけど。」

しかし世間は甘くないもの。小さな仕事はあっても、なかなか役者の道は開けません。時間だけが過ぎていき、気がつけば約束の4年間もあと少し。「これを最後にして、だめだったら辞めよう。」そんな思いで受けたのが、NHKの連続テレビ小説「さくら」のオーディションだったのです。

彼女は見事、合格しました。

 

 

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