次は、LEICA M Monochromです(以下、MMとします)。いきなり期待を裏切るようで申し訳ないのですが、こちらのモデルがリリースされたときは、正直なところ驚きはしませんでした。むしろ「やりかねんわな・・・」とほくそ笑んでしまいました。それにしても凄いモデルです。センサー上の1画素がそのまま出力画像の1画素とイコールであり、モノクロ専用機ですからカラーフィルターは不要。デモザイキングも不要なわけですから、描く線は凄まじいほどにシャープかつナチュラル。カラーフィルターが無い分、ベース感度は上がり、高感度のS/N比も格段に良好に。しかしモノクロ専用機で、135デジタル・フラッグシップとほぼ同額。正直感じるのは、こんなカメラをリリースできるのはライカ社ぐらいでしょう。「カラー画像の彩度を抜いてモノクロ化すればいいじゃない」なんてお考えの方、それはある種そうです。しかしMMのような画は、MMでしか実現できません。それを欲する一部のユーザに向けて、このカメラをリリースしてくるわけです。もはや呆気にとられてしまうとしか書きようがありません。「自分たち(ライカ社首脳陣)が欲しいだけじゃ無いの??」と感じるほどです。しかし、モノクロフイルムを詰めてフイルムのM型で撮影している人達には響くカメラかもしれませんね。もちろん「わざわざデジタルでやる必要なんて無い」という方も居ると思いますが。そんなことはさておき、MMで一つもたらされた事実があります。MMは遂にデジタルカメラとしてフイルムをある種越えてしまいました。それは、レンズの描写限界についての話です。MMにオールドレンズをマウントして撮影しても、それなりに良さは感じられます。しかし、あまりの解像力に少々違和感を覚えるのです。上手く表現するのは難しいのですが、「このレンズ、どうもピリっとしないね」といった状況。つまり、甘さを味と捉えられず、ストレートに「甘い」と感じてしまうのです。フイルムや、ライカ M8/M9で使うと味わい深くても、MMにマウントした途端、甘さと感じてしまうのです。そして現行レンズをマウントし撮影、一度その画を見ると虜になってしまいます。なるほど、撮り手とは「如何にリアルに写るか」このことについて延々興味があるのだな、と感じさせられました。なんとなくボヤけて抽象的に写って醸し出されるリアルさではありません。それはむしろ今までのレンズや感材を通じて描かれた画に対する基礎体験から来ていると考えられます。MM+現行レンズ群は、眼前の光景をより高度に高精細にキャプチャしてしまう、その能力の比類無き高さからもたらされる「リアルさ」なのです。正直なところ、カメラそしてレンズというものについて、一段と深いものを見せて貰った気がします。

「ライカM」の姿を見て落胆した方もいることでしょう。ライカ M9 Titanで実装されたLEDブライトフレームの採用によって不要になった採光窓は取り除かれ、このモデル以降、車のイヤーモデルのようにタイプ名で区別されることが決まったため、ただ単に「M」と彫り込まれたモデル名。ライカ M8/M9がフイルムM型ライカのマイナーチェンジ版とするなら、「ライカ M」は初めての大がかりなフルモデルチェンジと言えるかもしれません。センサーをCCDからCMOSに置き換えたことで、遂にTTLライブビューを実現可能に。これで、はじめてM型はピント面をリアルに見ることができるようになりました。さらには動画撮影機能も実装され、Mレンズをフルサイズで動画に用いることも可能に。もう、盛りだくさんの「革新」です。一つ気になるのは、「ライカ M」を手にしたときにどのようにピントを合わせるか。恐らくですが、圧倒的多数の方が相変わらずレンジファインダーで二重像合致を選択すると思われます。ブライトフレームのLED照射化で、低照度下におけるフレームの視認性が上がったとはいえ、これまでのレンジファインダーと基本的な機構は何ら変わりありません。少し連想するのは、その昔のCONTAX Gシリーズや、フジフイルムのX-Pro1など。この2機種は、二重像合致のようなピントを明確に置いた感覚に乏しいと言えます(X-Pro1は光学ファインダーで覗いた場合)。M型ライカの美点の一つは、自らの意思で合理的かつ慣れれば迅速に「ピントを置ける」ことです。これは使ってみなければわかりづらいことだと思いますが、ファインダー上でAF合焦のサインを聴くのとは一線を画すのです。ならば「恐らく」ですが、相変わらず光学ファインダーを覗くことでしょう。液晶モニタを覗くのは、水平垂直を正確に出したい、近接撮影でピント面を確認したい、R用レンズをアダプタ経由で使いたい、厳密なフレーミングを行いたい、アイレベル以外で撮りたい、こんな時でしょう。ライカ「M」を見て、最初に頭に浮かんだのはライカ M6からライカ M7へ代替わりしたときのことです。AE搭載をライカ M7で行ったのですが、相変わらずシャッター幕は横走りで、最高速は1/1000。操作系も最低限の変更にとどめ、シャッター半押しでAEロック。電池が切れても1/60だけはシャッターを落とせる仕組み。なるほど、なるほどと、膝を叩いたものです。M型のアイデンティティを損なわず、撮影者を手助けするために最低限の手当。「M」もこれに似通う気がしませんか?

長文におつきあい頂きまして大変恐縮です。ありがとうございました。大半は皆さんご周知の話だと思いますし、推測を交えてまで、なぜ各モデルを挙げ連ねたかと申しますと、一つは冒頭に記した通り、各モデルを検証することで現在のライカ社の姿を探ることが目的でした。もう一つ、ライカといえば、それはもうありとあらゆる文献・情報が充実している中、なぜか近年のライカ社についてとりまとめた情報が少ないのです。これからライカの世界に足を踏み入れようとされている皆さんに、ぜひライカそしてライカ社というものがどういうものかを知って頂きたいと、まとめてみた次第です。ぜひ参考にして頂ければこれに優る喜びはありません。

さて、あとがきとしてまとめさせていただきます。筆者自身が、近年のライカ社各モデルのユーザであり、できる限り当時の心境をストレートにまとめました。「ライカ アラカルト」のあたりでは、正直なところ「ライカも終わったな」と感じもしました。随分商売上手になったとさえ思ったものです。しかし、各種のデジタルカメラがリリースされ、画を見る度に何かしらイノベーションやインプレッシブな印象を残していきます。それが積み重なってきて、いつしか「どんな連中が作ってんだ??(失敬)」という興味に変わっていきました。今回、ライカ社を訪ねてキーマンの皆さんに話を聞くことで、実感したことがあります。彼らは本当にライカを愛しているということです。Dr.カウフマン氏を筆頭に、皆さん元々は一人のライカファンです。筆者の興味は、一人一人、ライカファンであった皆さんが経営に参画することで「ライカ」というカメラがどうなっていくのか。このことに尽きました。過剰に妙な懐古主義に走ったりするのでは無いか、そんな心配すらしていたのです。しかし、実際にキーマンの皆さんからお話を伺うと、日本を出発する前の予想通りでした。推測を交えての各モデルの検証ではありますが、全文をお読み頂ければ、現在のライカ社そしてライカというカメラの「つる」(木の"つる")みたいなものが見えてくると思います。彼らはライカを愛し、ライカが果たすべき役割を十二分に理解し、半ば狂気じみたように「良い物」を作ろうとしています。しかも、世界が持っている「ライカ」というコンセンサスを逸脱せず、ビジネス的にも成功を収めるべくして収めています。往年のライカ社とは違いますが、言ってみればよりライカ社らしいかもしれません。エルンスト・ライツ1世から積み上げてきた歴史こそが、いまの経営陣・開発陣を誘っているのです。そのように見つめてみると、ライカというのは実に偉大なビッグネームなのだなと感じる次第です。こぼれ話ですが、キーマンの皆さんの気さくさには参りました。非常に失礼な物言いですが、正直なところノリがウチの編集部と大して変わりません。まるで変態のようにカメラを愛し、写真を愛する皆さんでした。特にレンズ開発の責任者の方は、多大なるリスペクトを込めて「変態」と呼ばせて頂きたいと思います。これから出てくるレンズもきっと凄いはずです。最後に・・・「何を当たり前のことを言ってんの?」フフンと笑われそうです。彼らにとっては自然なことでしょうから。そしてフォロワーとはこんなものですよね。

 

 

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