Scottさんが運営するblogのタイトルは「shot & shot」。素晴らしい戦績をお持ちの元ライフル射撃の選手であり(大阪府2位/全日本13位※ライフル射撃競技会)、ライフルのトリガーを引くこと、そしてカメラのシャッターを切ることが感覚的にオーバーラップすることから名付けられたそうだ。

Scottさんがライフル射撃と写真撮影を重ねる理由を説明してくれた。

  • ライフル射撃:標的に銃を向け、確実に狙いトリガーを引き、撃つ。
  • 写真撮影:素早く枠に切りボタンを押し、撮る。

この2つの行為、何よりそれぞれの「呼吸の間合い」と言うべきものが似ていると感じるそうだ。伺って面白いなと感じたのがライフルを撃つときに、心臓の鼓動と鼓動の狭間でトリガーを引くということ。成人男性の脈拍が約60-70/分。おおよそ1秒間隔で脈打つ鼓動の狭間にトリガーを黙々と引いていくことは、想像の域を出ないが緊迫と静寂が同居する境地だろう。言い換えれば時間を切り刻む行為。または時を無限に感じる行為だと言えるだろう。想像してみて欲しい。ライフルを構え刻々と過ぎゆく競技時間(1時間~4時間)の中、規定の弾数(60〜120発)で標的の中心(距離50mで直径1cm/300mで10cm)を確実に射抜いていく。自らの鼓動だけが木霊し、音の消え失せた世界。高まる鼓動がさらに鼓動を呼ぶ。追い込まれるような緊迫感に支配される中で、トリガーを引くタイミングも、鼓動に持っていかれそうなものだ。しかしそれではダメらしい。

写真はどうだろう。トリガーを引く動作とシャッターボタンを押すそのアクションは何となく似通う気がするが、競技射撃のような緊張感はあるだろうか。極端な状況でのフレームなら何となく想像もつくのだが。・・・ライフルの話しに続いて、話題は趣味の音楽の話に。ここで射撃と写真撮影が重なる理由が見えてきた。

Scottさんの生活の中には常に音楽が流れているそうだ。人生は音楽のようだとまで言い切る。音はなくとも、常に頭の中では鳴っているそうだ。クラシックやジャズがお好きだそうで、特に19世紀後半から20世紀始めの後期ロマン派クラシック音楽が特に好みであるという。曲想・曲風のバラエティに富み、強さ弱さ、豪快さ繊細さ、喜びや悲しさ、そして人生のロマンを感じさせてくれて胸を打つものが多いそうだ。Scottさんが目指す写真とはまさにこの感動で、音楽をお手本とするならば、サンサーンスの交響曲第3番、ドボルザークの交響曲第8番、ブラームスの交響曲第2番だそうだ。私はエレクトリックでラウドネス、性急なタテノリの音楽にしか触れてきていないため、この喩えは少々難解であったが、お話を伺う際にふと譜面が頭に過ぎった。そしてライフル射撃と写真撮影がオーバーラップする理由が見えてきた気がする。

楽曲を五線譜に記してみれば整然と音符は並ぶ。しかし、音符と音符をどのように繋ぐか切るか、または1音にどれだけのテンションを込め、そして載せていくか。さらにアーティスト・オーディエンスがそれぞれの想いを連ねていく。その積み重ねの先に感動があるのだ。つまり楽曲を譜面に記しても、それは楽曲の1面を表すに過ぎない。このことに写真を重ね合わせてみる。

たとえば、初老のご夫婦が仲睦まじく手を繋いで目の前を歩く。多くの人が反射的にシャッターを切りたくなるシーンかもしれない。しかし、たとえば手を握る力の強さ、気遣うご主人の歩幅、表情よりも後ろ姿が饒舌に語るその様、そこには幾つもの文脈が流れているだろう。つまり採譜された1音の如く、キャッチーなシーンも目前に拡がる光景の1面に過ぎない。もちろんそれそのものを捉えるのもよいだろう。しかし、写真は「一瞬」を感材に定着させるものである。現実の光景は連綿と流れているわけで、当然全てを盛り込むことはできない。矛盾する話だが、だからこそシーンとシーンの狭間のアニマさえも捉えようと試みたい。そうすることで、1枚の写真に何かを載せられるかもしれない。ある種の願い、祈りみたいなものだ。そしてファインダーを覗く。視神経が全身に伸びていき、眼前の光景と自分が一体化していく。そして「音が消えていく」。

Scottさんの話を伺って、あくまで私が想像する「shot & shot」の所以である。次頁にてScottさんの作品を紹介するが、ご覧の皆さんはどう感じるだろうか。

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