蜘蛛の糸のように絡む日常から、ふと空白に落ちることがある。音も無く、色も無い。そんなとき写真機を持つのなら、モノクロフイルムを入れて自分の辿ってきた道を見つめるといい。デジタルじゃダメだ、画を作ってしまう。撮って寝かす、できれば2,3ヶ月じっくり時間をかけて撮るといい。
あの日よじ登って遊んだソファ。今は甥と姪が同じように遊んでいる。全く変わらない景色と、我先に「抱っこ!」とせがまれて、たじろいでしまう一瞬。
ここ最近、何度も田舎に帰った。14年前に祖母を亡くし、いつかは「ワシは何で生きてるんだ」と母親にこぼしたという祖父にも帳が降りようとしている。祖母が亡くなったときには、何もできなかったという想いがあった。だからこそ、何度も。
肺を原発とする直腸癌に見舞われ、人工肛門を取り付けて病院から自宅に戻った祖父は、いつもと変わらず決して何かを自ら語ることはない。最後の蓄えを全て削られたかのように痩せ細った身体を横たえ、まるで即身仏のようだった。
Gパンを履く祖父に祖母、ギターを弾き、油絵を描く祖父。正直自慢だった。自分の学生時代は荒んだものだった。電話の上にかけられた連絡先一覧に自分の名前はない。ただ家の寝所に祖父の描いた自分の画が掛けられていた。爺さんよ、俺はもう少し男前だ。
何度か車で田舎とを往復しているうちに、新たな内閣が生まれていた。道中に代表選候補者の政見演説を全て聴き、新総理誕生の談話も全て車内で聞いた。
祖父は逝った。祖母と煉瓦を買ってきて作られた、主を失った花壇。花達は溢れ出していた。
棺に収められた亡骸を見ると、在りし日の祖父ではなくなった。魂が抜けるとはまさにこのことで、不謹慎かもしれないが命潰えれば、ただの蛋白質の塊。しかし、まるでスイッチが切られただけのようにも見えるし、そこに収まるのはひょっとして自分かもしれない。生も死も大した変わりはない。
在りし日を忍んで沢山の人達が集まり、ひどく懐かしい人々にも会うことができた。この繋がりは、ひとつひとつボタンを掛けていった、それだけの結果の先に居る人達だ。家族が生まれ、その先々で様々な繋がりが生まれていく。本当にそれだけのことなのだが、ボタンも幾つも掛かれば、簡単にははだけないのだ。ひとつ、そしてまたひとつ。徒然その時は有限で、悠久のものではない。見送るどころか、見送られてしまった。横たわる祖父のネガを手にして、しばし空白に包まれる。