このサイトの作例撮影を一部担当いただいた、デザイナーでありカメラマンである高橋俊充氏と、そのご友人であり、仕事仲間・写真仲間であるカメラマンの水野直樹氏が金沢で写真展を行うとのこと。お二人ともライカで撮影したカットを展示されるとのことで、大雪の最中、急きょ金沢まで取材に。案の定というか、東京から富山周りの電車は雪でストップ。飛行機も軒並み欠航、搭乗した便も小松上空で旋回を続ける有り様。なんとか閉館ギリギリで滑り込むことができた。

高橋氏はデザインのプロセスの中でカメラを握ることはあっても、基本的な立ち位置はデザイナーでありアートディレクターである。水野氏は生粋のカメラマン。この2人のタッグがどんな展示につながるのか、興味があった。また、展示写真をB0サイズまで引き伸ばされたものもあるとのこと。デジタルライカで撮影した写真の大伸ばしをあまり見る機会はない。このあたりの印象もレポートしたいと思う。

場所は金沢市民芸術村。もともと紡績工場だったものを、様々な展示が行えるように改装。そもそも写真展を行うのは珍しいらしく、多目的なイベントスペースとしての活用が多いそうだ。都内などのギャラリーでは考えづらい広大な面積と個性的な空間に対して、細部まで実に行き届いた展示だった。展示に関しては水野氏との話し合いの元、高橋氏がグラフィック面など事細かにセットアップされたそうだ。なるほど、さすがにAD/デザイナーとしての信条がそこかしこに見て取れる。

高橋氏(手前)と水野氏(奥)。当初、B0がズラリと並ぶと聞いて、どんなギャラリーで展示されるのかと思っていたが、納得。これほど大きな展示スペースだとB0ぐらいのサイズがなければ追いつかない。しかし展示の難しそうな空間である。

やはり大伸ばしのプリントは迫力がある。高橋氏は全てM9で撮影されたそうだが、B0まで伸ばして粗は一切見受けられない。デジタル黎明期の頃のようなシャギーなどとは無縁。むしろ35mmフイルムで撮影したものならば、もっとプリントは甘くなると思われる。水野氏にいたっては、M9よりも画素数の少ないLEICA X1で撮影したカットをB0まで引き伸ばしていた。こちらも何の問題もなく、素晴らしいプリントクオリティだった。昨今のフイルムの衰退は悲しいことだが、それも納得してしまうプリントだ。見る限り、B0よりもっと伸びそうな感触である。一定まで引き伸ばすとピクセルそのものが表れると思うが(フイルムの場合粒子が表れる)、一体どこまで伸びるのか見てみたいものだ。

実際に展示されていた写真を何点かお借りできたので、お二人に体裁について断りもなく2点ずつ4点を並べてみた。場所も違えば撮影者も違う。「SNAPS」というタイトルそのままの漠としたテーマで写真は展示されていた。二人展において、一般的に見受けられるのは次の二通りである。一つは今回の展示のように、テーマに沿って構成するもの。もう一つは、一つの写真展として開催はするけれども、個展が同居する構成だ。どちらも共通するのは一つの写真展であり、個性と個性がぶつかり合いつつ、来場するお客さんに、一つの写真展として説得力を持たせるというのは非常に難しいということだ。ある種、個展の方が取り組みやすいとも言えるだろう。そのハードルの高さが、どうしても展示のちぐはぐさに繋がり、結果として説得力に欠けてしまったりするものだ。今回、日頃よりお付き合いのある二人が一つの展示を行っているわけで、一般的によく見られるシチュエーションなのだが、流石にお二人ともプロフェッショナルであり、写真展としてのまとまりの質は高く、二人展を企画する方には、お手本のような展示ではないかと感じられた。

SNAPとは何か? 明快に答えられない。人それぞれの解釈がありアプローチがある。究極を言えば、演出写真だって記念撮影だってSNAPだろう。ここでは「その場との対峙」として、SNAPというものを定義し、お二人の写真に対しての印象を記したい。

高橋氏はイタリアを訪れての「SNAPS」だ。ご自身が乗る車もロードバイクもイタリア製。かねてよりイタリアとは縁が深かったのだが、訪れるのは初めてだったそうだ。思い入れが強いほどファインダーを覗く目は曇りそうなものだが、実にイタリアらしいイタリアがそこにあった。街中を闊歩しつつ、明快に「イタリアの線」をフレームに収めている。フレームの隅々までイタリアが描く線を綺麗に織りなし、誤解を招きそうな表現だが、少し仕事に過ぎるほどだ。こんなことを書くとご本人は不本意かもしれないが、デザイナーは、触れる人、見る人を新たな世界へ導くイントロデューサーでもある。カメラを構えても、高橋氏の特性はやはり消えるわけではなく、また消す必要もないと思う。展示された写真は確実にイタリアまでトリップさせてくれた。

対して水野氏はケニアを訪れての「SNAPS」。だだっ広い草原にポツリと佇む野生動物のバーチャル感、大自然に支配される「生」。面白いのはその空間に包まれて、ファインダー接眼窓から水野氏の視神経を通して思考に至る経路までに、複雑なものを一切感じないところだ。もちろん綿密にフレームはされている。ただでさえ写真を生業とする人の仕事には詰めの厳しさがある。しかしそれを凌駕する豊穣さみたいなものが写真に宿り、彼の地は一体どんなところなのだろうかと、見えもしない空間を夢想する。高橋氏の写真にデザイナーとしての血を感じたが、それはイタリアという地がそう感じさせるのかもしれない。水野氏と高橋氏、二人が被写体を入れ替えたらどうなるのか、そんなことを想像するのも楽しい展示であった。

レンジファインダーを共に使うお二人。高橋氏はEPSON R-D1からレンジファインダーにのめり込んだそうだ。金沢では身近でレンジファインダーの話をしようにも、仲間を見つけること自体が難しく、また、自分の好みのレンズに巡り会うのも一苦労だそうだ。お二人で色々と情報を交換しながら、レンジファインダーでの撮影を楽しんできたそうだ。そんな間柄の中での二人展。表現者となればお互いのフィロソフィやスタンスがぶつかり合う。どれだけ親しいとしても、そこは別だ。まったく知らない相手との二人展ならストレートにぶつけ合えばよいが、親しい相手だとどうしても丸め合うことにつながりそうなものだ。

しかし親しいからこそ、相手の特性までよくよくわかる。表現者として二人同じ場所に立つことで、あらためて相手の特性やスタンスといったものを認識できるのではないだろうか。まったく違う立ち位置とスタンスでの二人展だからこそ、得られるものも大きい気がする。個展だともっと受け身だ。自分の写真を展示して、それに囲まれる。そこで見えてくるものがあるが、二人展だと違う文脈のものにも囲まれる。面白い取り組みだと思うのだ。余談だが、ヨドバシカメラで写真ギャラリー設立の準備中である。「SNAPS」をぜひギャラリーで一度やってほしいと掛け合おうと思うのである。

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